こんにちは。つりふぁすです。
この度はご訪問いただき、誠にありがとうございます。
本ブログは、最初に始めたブログ「青天井LIFE」から自動車記事を独立させ、思いのままに記しております。
その「青天井LIFE」は勤続13年の会社を辞めた後、新しいことにチャレンジしようと思い始めました。
全てのブログで私の 「経験したこと」 や「好き」が誰かの参考になれば嬉しい、と思い運営しています。
理想の走りを、数値と感性で調律する。元マツダ開発エンジニアが綴るCAR LIFE・ログ
自己紹介
改めましてこんにちは。当ブログを運営している「つりふぁす」です。
私は、単に車好きなわけではではありません。
中学で車好きになった遅咲きですが、整備士目指し、高校は工業高校 電気科へ進学。
電気の未来が来ると確信後、日本自動車大学校(NATS)で整備の基礎を叩き込み、開発現場が知りたくてマツダの「開発の深淵」で13年間を過ごしてきました。
ブレーキ開発、試作車製作、広報車管理、社内インストラクター、そしてNVH(騒音・振動)開発。
メーカーの内部で、車が「理想の状態」であるとはどういうことか、その答えを0.1mmのアライメントや5kPaの空気圧の違いから学び取ってきました。
2021年、その全ての経験を携えて「伝える側」へ転身(いや、今でも副業ブロガーですが)。
一人のドライバーとして、そしてプロのエンジニアとして、忖度なしの本音を綴ります。
🛠️ 5つの専門的なバックボーン
私の発信する情報には、以下の裏付けがあります。
【開発の視点(Engineer)】
ブレーキ開発やNVH開発に従事。国連法規(UN-R51)適合などの極めてシビアな環境で、数値と感性の両立を追求してきました。
【整備・構造の視点(Mechanic)】
2級自動車整備士(ガソリン・ジーゼル)を保有。ホワイトボディから1台の試作車を組み上げた経験が、私の車両理解の解像度を支えています。
【「理想」を知る視点(Keeper) 】
広報車管理を通じ、メーカーが世に送り出す「100点満点の個体」を数百台以上、徹底的に走り込み、維持・管理してきました。
【教育・言語化の視点(Instructor) 】
社内インストラクターとして、マツダの哲学「人馬一体」を言語化し、多くの受講者に「気づかせる」教育を行ってきました。
【価値を見極める視点(Appraiser)】
学生時代に取得した中古自動車査定士の資格と、開発現場での審美眼を活かし、車両の真の価値を見極めます。
🏎️ 現在の愛車とこだわり
【MAZDA CX-5 (KF型/2021年式/ 4WD / 6MT)】
2021年10月ー2026年3月。実走行7.6万km。現在、次なるステップへの橋渡しとして売却準備中。

【MAZDA Roadster NR-A (ND型/2026年式)】
愛称は「るり」。走りに特化したNR-Aを選び、納車を待ちわびる「じれったい」時間を楽しんでいます。

ちなみに、もう一台主に妻の通勤車両ですが、「ルノー キャプチャー」も2025年の8月にお迎えしました。

運転中は「全集中」のごとく、五感の全てを路面と対話させる。
そんなストイック不器用な車への向き合い方を、このブログを通じて共有していければ幸いです。

この頃は人生で一番痩せてたな(遠い目)
現在は、長年住んでみたかった浜松に縁あって引っ越し、近隣の会社で悪戦苦闘している真っ最中です(笑)。

つりふぁすはこんな人☝️
✔️1987年卯年の天秤座
✔️千葉県生まれ 千葉県育ち
✔️お笑い好き
✔️広島が第2の故郷
✔️特技は柔道
✔️趣味は「釣り、ツーリング、ドライブ、ラジコン、ブログ」
✔️曲がったことが大嫌い(原田泰造ではありません)
✔️危険物乙種四類
✔️2級自動車整備士(ガソリン・ジーゼル)
✔️中古車査定士
✔️第2種電気工事士
✔️工事担任者デジタル3種
✔️船舶免許2級
✔️ガス溶接・アーク溶接
✔️元自動車メーカー車外騒音開発担当
✔️某自動車メーカー走行ライセンス所有
✔️サービスエンジニア経験(1年弱)

これは2020年6月、広島の太田川放水路で釣れたシーバス。ちなみにこの時は短時間ながら入れ食いだった。
このブログ「青天井なCAR LIFE」の由来
免許取得以来、その独自の乗り味に共感し、好きになった自動車メーカーのマツダ。
ネーミングの発想はマツダの「SKYACTIV」で、「限界にとらわれず、自由な発想でどこまでも楽しい人生を送れるように」と願いを込めて命名しました。
「マツダの車にかける情熱、これまでの常識にとらわれない発想、そして何より人々に楽しんでいただきたい。」
彼らのそんな熱い思いを私の趣味嗜好に落とし込み、より豊かな人生を送るうえで参考になる情報を、このブログを通してお伝えできればと思います。
ちなみに免許をとってマツダに乗るまで、スバルが大好きでした。(WRCで活躍するインプレッサが大好きだったから)
つりふぁすの ‘これまで’
生まれ〜小学校入学前〜釣りに目覚める〜
千葉の北総部、今で言うと香取市で生まれ育った管理人。
家族はグランファーザー、グランマ・・・ゴホンッ、失敬、
じいちゃん/ばあちゃん/とーちゃん/かーちゃん/ねーちゃん/あんちゃん。
兄が生まれて11年後、私がNew faceとして加わり7人ファミリーに。
じいちゃん、とーちゃんの影響で家から近い利根川によく家族で釣りに行っていました。
そこで狙うのは「ボラ」
なんということでしょう・・・。
イソメをつけて投げ釣りで狙うボラガチ勢です。いや他にそんな勢力いなかったでしょうけど。
でも小学校に入る前の管理人はボラが釣れるたびに大興奮。
釣れなければ仕掛けを回収し、こまめにイソメを交換するなど早く釣れないかなと一生懸命でした。
で、釣ったボラは持ち帰ってました。とーちゃんが食べるからです。
調理方法は「洗い」。
単刀直入にいって「ボラの刺身」のことです。
当時私は刺身自体食べられなかったため当然ボラも食べません。
それどころかマグロもカツオもイカもたこも全部ダメ。
刺身を克服できたのは高校生の頃です。
なので単純に魚釣りという行為が好きでした。
そしてボラに混じりときどきブラックバスという魚が釣れました。
明らかにボラとは違うフォルム。この魚なんだろう?最初は「なんかボラよりもかっこいいかも」
というくらいの認識でしたがそのブラックバスが「ルアーでも釣れる」
と聞いた管理人はこの後一気にルアーの道へ進むことになったのです。
小学校〜中学前半〜ひたすら釣りが好き〜
「バス」を釣るべくルアーに興味を持ち始めた頃。
釣り雑誌という存在そのものを知らない少年は親に頼み、父親がイソメを買っていた釣具屋の中から
ルアーを置いている釣具屋さんに度々連れていってもらうようになりました。
店に入り並んでいる色とりどりのルアーやワーム。
その中でつりふぁす少年はリアルじゃない形やカラーにとても興味をそそられました。
そのとき「こんなので釣れるんだ!!」と今考えればめっちゃ失礼な感想を抱いたのは今でも忘れません。
ルアー釣りには様々な魅力があると思いますが、つりふぁす少年が抱いた思いは
「人の目には餌とは似ても似つかない色や形でも釣れる」というところです。それが入り口となり、ルアーの道にどっぷり浸かっていたのがこの頃でした。
中学半ば〜クルマに目覚める〜
この頃になると釣り雑誌を読み漁り一人で遠くの釣り場に行きたいと思うようになりました。
釣り雑誌の裏面に毎回のように広告されている「ランクルプラド」。
あまりにもプラドばかりなのでつりふぁすはこう考えます。
「他にどんな車があるんだろう?」と。
そして情報収集のためクルマ雑誌を読むようになります。
するとどうでしょう。ランクルのような「クロカン」というジャンルに属する車だけじゃなくサーキット走行に最適なスポーツカーや大人の雰囲気を纏うラグジュアリーサルーンのような車まで、世の中実にいろんなクルマが存在していることに興奮しました。
数ある雑誌の中でも管理人にとって「カーグラフィック」は特別な存在でした。
なんせこの雑誌の後半には主要な車種の様々な計測データが記載されていたのです。それを丸暗記するまで読み込んでいた日々。
そして気づけばすっかりクルマ好き人間になっていました。
中学後半〜高校〜専門学校時代〜自動車の道へ歩み始める〜
高校選びでは
「将来自動車に関わる仕事につくなら電気を学ぼう!」と考え地元の工業高校に進学。
この頃はまだ具体的な進路など考えていませんでしたが、東京オートサロンで日本自動車大学校(NATS)ブースにて学生が作成したカスタムカーのクオリティに思わず「学生でこんな車が作れるんだ!!」と感動。
その勢いでNATSに進学。2年生に上がる頃には「作る側」に興味を持ち始めました。
また運転が大好きで親の車(2台目デミオ)を借りて走ったり、スバルやホンダなど走りにこだわっているメーカーの車を試乗しているうち、「デミオの操縦安定性ってじつはとても優秀なんじゃない?」
ということに気づきマツダ好きに。学校にマツダ関係の会社から求人が来た際は迷わず応募しました。
それからの13年間はクルマの開発と釣りとバイク三昧。縁もゆかりもなかった広島が第2の故郷になりました。

マツダ車の開発に捧げる日常〜様々な学びと自己成長につながった社会人生活〜
専門卒ですがマツダでは開発部門に所属できました。
そこはクルマ造りの最前線。
日々猛烈にアウトプットしていく必要がある職場です。
先輩や上司、同僚のおかげで仕事も一人前にできるようになり、いくつか担当車種を持たせていただくことができました。
これまで携わってきた車種はCX-5/CX-8/アテンザに、中国専用車種のCX-4や北米や4A地区で売れらているCX-9、7世代車種ではMAZDA3やCX-30などの騒音規制担当として責任ある仕事を任されてきました。
この経験を通じて得たのは対人スキルや業務遂行能力だけでなく、小さいけれど数多くの成功体験です。
日々の本当に些細な成果を積み重ねることが自分自身にとって代えの効かない燃料になっていたのです。
私に関わってくださった全ての人に感謝したい。
13年勤めた会社を退社
マツダ車の開発は毎日が充実した日々。仕事を覚えるにつれ、人間的な成長を毎年のように実感できていたのもこの頃です。
ですがつりふぁすは退社を意識するようになります。
きっかけは「コロナ禍」による移動制限
当時流行し始めたCovid−19は今後5年は続くと予測されていました。
広島に住んでいる私は帰省手段として主に「新幹線」や「飛行機」がありましたが、軒並み運行を取りやめ、物理的に移動できなくなったのです。
帰省できない生活が5年続くと考えた私は、いっそのこと地元、もしくは車で片道6時間圏内(車で広島ー地元は約13時間程度かかる)に引っ越しを考えました。
ただし今の仕事や職場、人間関係には大満足している状況です。
かなり悩み、葛藤しましたが、転職する場合は年齢によっては厳しくなると考えたため、退職を決意しました。
2社目、3社目〜パワハラによる退社
正直もう、思い出したくもありません。
2社目は2ヶ月で辞めました。いやな思いしかしませんでした。
2ヶ月ほど無職を味わいましたが、この時に始めたのがこの「青天井LIFE」です。
そう、とんでもない思いをしたことがきっかけでブログを始めたんですよね。
3社目は1年勤めましたが、同僚のひとりがとんでもないパワハラ野郎でした。
聞けば社内でも知らない人はいないくらい「暴力的」な人だとわかり、被害者は私だけじゃない様子。
さすがに上司に複数回相談するも、スキル的に社内では貴重戦力らしく、辞めさせられないとのこと。
また、他事業所の移動させるにしても、各事業所の大反発があるようで、引取り手がいない、などの背景があり、
私がこのまま犠牲者になるのも嫌なうえ、その人と会うと「動悸」が発症するようになり、4社目の内定をもらった上で退社しました。
これから実現したいこと
それは自分が調べてわかったことや経験したこと、あるいは考えなどをこのブログを通じて発信し、毎日のすき間時間に読みたくなるような、
- 「参考になる」
- 「ためになる」
- 「くすっと笑っえる」
そんな面白くてタメになる記事を発信していきたいと思っています。